昭和42年07月21日 夜の御理解



 今日午前中の奉仕をさして貰っとります 十時ちょっと過ぎだったでしょうか、ちょっとお参りの切れ間、何か途端に眠気が致しまして、どうにも出来ない様な眠さですね、ああいう時にちょっと立たせて貰ったり、ちょっと立って顔を冷たい水で顔を洗ったりすると、又シャンとするのでございますけれども。とにかく私は午前中は、神様のお許しを頂かなければもう、立たない事が建て前ですから。
 まそこを辛抱させて頂くので御座います、そしたら丁度そん時にあの久留米の佐田さん達が親子三人参って参りまして、幼稚園に行っとります恵介君が、お母さんが今日お初穂の整理をしております時一人ここへ出て参りましてから。何かこう小さいお菓子なんですけどもなんか珍しいお菓子でした 飴玉の様なお菓子でしたそれをここへ持って来てから、先生僕がお供えさして頂きますちいうてからここへ持って来るんです。
 あぁそうなあんたのお供えなら頂いとこう、とそこでしゃっち食べれと云うんですね。私にそれをそしてその恵介君との問答、どうでもしゃっち食べろという、御結界でその飴玉の様な物を口に入れさせて頂いた途端にです、本当に目が覚めるから有難いですね、そん時思うんですよ、神様がほんとに騙したり好かしたりして、御用にお使い下さると云う事で御座います。
 そしてそこにそうした、ほんとに私共が、神様の目から御覧になれば、そういう小さな子供も同じ事、それでもさあ、そこを辛抱させなければ、おかげが受けられない、と神様が思し召す時に、泣く泣くでも神様は辛抱さして下さる。あるお母さんが、子供が学校私立も無欠席で、何年間を通学したところが、何かこう風邪かなんか引きましてね、発熱しましたんですね。
 そん時にお母さんが折角今まで無欠席で行ったんだから、さあお母さんがとにかくあのオンブして行ってあげるから、元気出して行きなさい、そして先生に訳をいうてから又具合が悪いなら又、帰ってもいいからというて、その子供が一生懸命であればです、又親も一生懸命。そしてそれを後々思う事で御座いましょう、ほんとに母親があれだけの、ああいう時に精進をしてくれておった。ああいう風に努力しておってくれた。
 自分の勉強にあれだけ力を入れてくれておったんだと云う事を、その子供がどの位有難いと思うか分かりません様に、神様も又同じ事おかげを頂きたい、ほんとに力を頂きたいお徳を受けたい。やむにやまれん願いを持っておるけれども人間どうにもこうしかねれる事がある、辛抱のしなれん様な事があるけれども、そう言う所を辛抱さして頂いておると、それをいつも辛抱させようとはなさらない。
 それこそ親がオンブして行ってくれると言う様にです、それこそ飴玉をほお張らせてからでも、御用を続けさして下さる、その後が有難い。私はその後にすぐ善導寺の原さんがこの頃、朝の御祈念を昼頃必ず日に二回づつ御主人の方です 参って見えるんです。心に何か期せられる所があるらしいです。矢張りああして炎天の最中にお参りをして見えるので御座いますが、何かを矢張り頂いて帰られるらしいです。
 それで私その事を原さんにお話したんです、それこそあの、ああ先生そう言う様にして神様はほんとに騙し好かす様にして。私共に信心の期待を下さっておるんですけども、先生そういう時に、私の心が神様に向こうて居なかったら、そういう神様の働きも受ける事も、分かる事も出来んなりに終えんならんでしょう、いやもうその眠気のさす時に、すでに立って辛抱し抜かないでしょう。
 と云う事を言うておられましてから原さんそうですたい、どうでも苦しかってもどうであっても。自分の心を神様に向けておると神様がですね、ある場合は撫でたり擦ったりして、ああ神様が、こんなにしてご鍛えて下さっておるんだなあと、いうおかげを受けられるんですよ、と云うてお話した事でした、私今日は親教会の月次祭で御座いますから、何時も若先生が帰って参りますと交替して参ります。
 その参りました参る行きますのに、何時もセキさんが迎えに来てくれますから、待つとりましたけども見えませんもん。そしとりましたら。向こうから高橋さん達の一行、お店の方達を四名連れて、どうでも私今度旅行に出られる為に一辺旅行前にお合いして行きたいというので見えられたんですけども、今日は「 ? 」で御座いましたが、今日は私今から親教会に出ろうと思うとる所で御座いましたから。
 おかげ頂きました向こうも大変その事を喜ばれたんですけども、そげな風でお参りが夕方になりました。勿論閑散とした、丁度お広前の閑散時で御座いますから、お広前に誰も座っとりませんでしたけれども、私が参りましたらすぐ、控の方から紋付袴を付けて親先生が、すぐ御結界に奉仕して下さいました。もうその時にですね、私は思うんですよ、親先生どうもこの暑いのにすいません。
 もうほんとに私共ならばもう夕方であったら、言わばステテコ一枚で涼んでおる様な時に、先生はちゃんと紋付袴つけてから。控の方でおられるけども、控の方に控えておって下さったと云う事が有難かった。もう今日は親先生が何を仰っても、有難く頂けるなあとこう思うんです、それがおかげですね、お取り次を頂く者、お取り次をさして頂く者。如何に其処ん所のタイミングというものが。
 素晴らしくなからなければならんかと云う事をです、例えば今日の午前中の私の体験、又は今日午後からは、親先生を私との事から考えましてもですね、今朝からの御理解にも御座いました様に、紙は神が折るから氏子が骨を折れとこうおっしゃる。やっぱり私共が骨を折らなければ駄目なんだ、眠いから暑いからきついからもう夕方じゃから、と言った様な事ではなくてです。
 そこに私共が骨を削りして貰い、身を削りして貰う様にです、骨を削らして頂く所に、紙は神様が折って下さる、そこに末広の言わば扇子が出来上がって行く様に、あいよかけよで立ち行くというかね、親も助かり子供も助かって行く様なおかげを頂くためには、双方のそうした精進と言う物がなら、ない、どちらが欠けても駄目なんです。私はそういう意味合いで今日は、骨を削らして頂いたなあと、自分で思うんです。
 神様は紙は折るとおっしゃる、その神と削った、いわば扇子の骨の事ですよね、それが骨折ると云う事は、精進するという意味なんでしょう。ですからお互いがですね、そこんところをほんとに眠たいから もうそこんところに立って行こう、眠たいからちょっとその顔を洗えばです、それはそれで済むでしょうけども。ましてここで、信心奉仕をさして頂いとる時にはです。
 そこんところを辛抱する事が神様の願いである。そこの辛抱する、しぬくと言う気持の所に神様が辛抱さして御座らない。飴玉でもほおばらしてから、いわば騙しすかしする様にしてから、私を御用に使って下さる、そういう御用に使われておる時に、お参りをして来るその人が助かる事に成って来るのですね、お互いの精進が必要であると云う事が、よう分からして貰ます。
   どうぞ。